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福岡高等裁判所那覇支部 昭和47年(ラ)10号 決定

抗告人 安本庄司(仮名)

相手方 安本照男(仮名)

主文

原審判を取り消す。

本件を那覇家庭裁判所に差し戻す。

理由

抗告人は、主文同旨の決定を求めた。その抗告理由は別紙のとおりである。

1  家事審判規則三〇条が禁治産の宣告に関する規則二四条の規定を準用し、準禁治産を宣告するについても、本人の心神の状況について、必ず、医師その他適当な者に鑑定をさせなければならない旨を定めていること、しかるに、本件記録を精査しても、原裁判所が、本件について規則所定の鑑定をしたうえ、準禁治産の宣告をした事跡をみ出すことができないことは、所論のとおりである。

しかしながら、原決定は、その理由欄において、事件本人が心神耗弱の常況にあると認定した証拠資料の一つとして鑑定人平安常敏の鑑定の結果を挙げているところ、本件記録に添付された那覇家庭裁判所一九六六年(家)第五三号準禁治産宣告申立事件(のちに申立の趣旨が禁治産宣告申立に変更された。)の一件記録によれば、相手方は、さきに、昭和三一年五月一七日に、抗告人を事件本人として那覇家庭裁判所に準禁治産宣告の申立をなし、同事件において裁判所は、鑑定人平安常敏を選任したうえ、その審問期日に、宣誓をなさしめる等適式な手続を経て、事件本人の精神状態について心神喪失の常況にあるか心神耗弱の常況にあるかの点およびその財産管理能力の有無の点についての鑑定を命じたこと、同鑑定人は、一九六八年一月一〇日付の鑑定書により鑑定の結果を報告したが、右書面によれば、事件本人に対する最終的所見は、「中枢神経の障害いちじるしく、これがため社会的な常識の欠如、判断力の欠如を生じ、加うるに左右障害、計算障害等の神経学的症状甚だしく、粗大な理非善悪の弁識能力が仮にあつても、これに従つて行動しうる能力殆んど皆無にひとしく、身辺の始末、整理すら一人前になすこと能わず、就中対人関係に円滑さを欠くのみならず、成人をみれば己れの家に在つても、かえつて、隠れて他人と応待し得ざる状態である。したがつて、事件本人は、一個の社会人としては『心神喪失の常況』にあるというべく、責任をもつて事物を処理できないものと思料する」、「したがつて、財産の管理能力はない」とするものであつたこと、右事件は、昭和四六年本件相手方により申立の取下がなされたことが、また、本件記録によれば、相手方は、その後昭和四七年三月一五日に改めて本件申立をしたことが認められるのであつて、右事実に徴すれば、原裁判所は、右取下前の事件においてすでに鑑定がなされていたため、右鑑定によつて規則二四条の要件が充たされたものとして、これを資料として本件申立の当否を判断すれば足りるものと解したことが明らかである。

よつて案ずるに、家事審判規則三〇条が同規則二四条を準用して、心神耗弱を理由として準禁治産の宣告をする場合に、審判手続上の要件として、事件本人の心神の状況について医師その他適当な者の鑑定を経るべきことを要求しているのは、その判断の内容が精神医学上の問題を基礎とするものであり、また、その結果が人の行為能力を制限するか否かという重要な事項であるため、その判断につき医学上の専門家の鑑定を参考として慎重になされるべきことを考慮したことによるものであるから、その手続が厳正に履践されるべきことはいうをまたないところである。したがつて、右の鑑定の手続を省略してなされた審理手続は原則として違法であり、その審判もまた違法であるといわなければならない。

しかしながら、さきに認定したところによれば、原審判の援用にかかる鑑定人平安常敏の鑑定は、本件と申立人および事件本人を同じくする禁治産宣告申立事件において、本件において行なわれるべき鑑定事項と同一の鑑定事項のもとに行なわれたものであつて、その鑑定手続にも違法の点を見出しがたく、しかも、元来、禁治産ないし準禁治産宣告事件のように申立人の利益のみを考慮するものではなく公益にも関するため、検察官にもその申立権が認められている事件については、いつたんその申立をした以上、任意に申立人の都合によつてその申立を取り下げることは許されないものと解すべきことに徴すれば、さきに係属した前記事件は実際上、取下げによつて終了したものとして処理されてはいるけれども、実質的にいえば、本件と同一の事件といわねばならないのである。したがつて、このような場合において、新たに係属するにいたつた本件を審理する原裁判所が、前記事件について適法になされた鑑定の結果を規則二四条所定の鑑定として判断の資料に供し、改めて鑑定を実施することがなかつたからといつて、そのことだけでただちに原裁判所の措置をもつて同条の解釈、適用を誤つた違法のものと断ずるのは相当でないといわなければならない。

2  しかしながら、さらに考えるに、原裁判所は、本件審判をなすにあたり、原審判に、右鑑定の結果のほかに、事件本人に対する審問の結果(審判官が現認した本人の状況を含む。)と家庭裁判所調査官の調査報告書を挙示し、これらを総合して、抗告人が心神耗弱の常況にあるものと認定しているのであるが、右鑑定の結果(昭和四二年一一月四日から一二月一三日までの間、三回にわたり抗告人に対して順次精神医学的検診、脳波テスト、心理テスト、神経学的検診を行なうとともに、四回にわたり申立人ほか抗告人の日常を知る利害関係人に対する事情聴取が行なわれ、その結果に基づき詳細な鑑定書が提出されている。)は、心神喪失の常況にある旨判定していることは前説示のとおりであつて、裁判所は、必ずしも鑑定人が用いた結論的な用語に拘束されるものではないけれども、他に挙示された家庭裁判所調査官の調査報告書(右報告書の内容は、鑑定の実施にあたり斟酌されたことが、鑑定書の記載に照らして明らかである。)、抗告人に対する審問の結果を参酌しても、右鑑定の内容に照らし、いまだ鑑定の結果に反して抗告人が心神喪失の常況にあるものではなく、心神耗弱の常況にあるにとどまるものと認めるべき資料は十分でないといわざるをえない。

しかして、裁判所は、心神耗弱の常況にあるとして準禁治産宣告の申立がなされた場合であつても、審理の結果心神喪失の常況にあるものと認定すべきときは、心神耗弱と心神喪失とは、ひつきよう、精神障害の程度の差であつて行為能力の制限の度合いに差異があるにすぎないのであるから、その制度の趣旨にかんがみ、禁治産の宣告をもなしうると解すべきである(もとより、必要に応じ、申立人に対して後見人選任の申立を促すべきことはいうまでもない。)とともに、反面、裁判所が、他の資料によつて、鑑定の結果に疑問を抱くときは、前叙のような判断内容の特殊性から医師等による鑑定の結果が判断資料として重要視されていることにかんがみ、その内容は尊重されるべきものであるから、軽々にこれに反する判断をすることは適当でないのであつて、鑑定人の尋問を試み、あるいは再鑑定を実施するなどの措置を講じて万全を期すべきものであり、現に取下げによつて終了した前記事件においても、裁判所は、再鑑定の必要があるものと認めて申立人に対し鑑定費用の予納を命じたが、予納されないまま、申立人である本件相手方から申立の取下書が提出され、終局処理がなされたことが右事件記録によつて認められるのである。叙上の点と原裁判所が認定の資料に供した前記鑑定の結果が前認定のように原審判書の作成日を基準としてもすでに四年九か月前になされたものであつて、その意味においても再鑑定の必要が認められる点とを考慮するときは、本件につき新たな鑑定を経ないで前記鑑定の結果と別異の結論に到達した原審判は、実質的には家事審判規則二四条の法意にもとる審理手続によつてなされたものであり、ひいて審理を尽さない違法があることに帰するから、結局、取消しを免れないものというべきである。したがつて、本件抗告は理由がある。そして、本件については、抗告人の心神の状況についてはなお審理を要するものと認められるから、これを原裁判所に差し戻すのが相当である。

よつて、家事審判規則一九条一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 吉井直昭 裁判官 官城安理 大城光代)

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